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Column-ご挨拶に代えて
ご挨拶に代えて
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「怯えていたもの」
(2006年キャリアデザイン学科授業レジメより)
京都文藝復興倶楽部 幹事  生田 敦夫
京都文藝復興倶楽部 幹事  生田 敦夫
 幼いころ、洛北鷹ヶ峯の田畑や竹林を駆け回った。なだらかな丘から遠望する京の町並み。洛中を包み込むように東山三十六峯の美しい稜線が波打つ。マッチ棒のような京都タワーの遥か彼方には、米粒サイズの伏見桃山城が。絵を描くのが好きで、読書が好きだった僕は、光悦寺や常照寺をはじめ、名も知られぬ寺々をスケッチした。日々の驚きと感動は絶えることはなく、想像の世界は限りなく広がり続けた・・・しかし、そんな夢のような時も、そう長くは続かない。両親に守られ学校へ通う毎日、大人たちから日々教わる現実に、僕は迷い始めた。大人? 社会? いずれはオトナであることを押し付けられ、社会に身を投じなければならない、大きな不安と恐怖。暗澹たる思いに包まれた幼い日々。必ず訪れる死・・・徐々に教わる人の一生。

 少年にとっては長い一日、365数えると1年。当時、日本人の平均寿命が凡そ75歳。無自覚に生れ落ち、これといった目的も無く過ごしていた僕は、生きることの意味も分からず、訳もなく怯えていた・・・心に病の蕾が芽吹き始めていた。

小学校の卒業アルバム。将来の夢のページに「知らない国々を旅して、新しい世界を発見すること」と僕は記しているが、これを書いた記憶は残っていない。20代。時代はあたかもバブル期。僕は様々な国を旅していた。さしたる目的も無く、アフリカ・アラブ・インド・東南アジアなど、発展途上国と呼ばれる国々を数年間。旅先で出会う貧しい村の人々。バッグに放り込んで持ち歩いていたラム酒を飲み、持ち合わせた食べ物や、村人たちが振舞ってくれる貧しい料理を挟んで、ともに笑い歌って踊る。枯れ枝で土の上に絵を描いてみせる。石ころや枝葉を集めて造形物を作ってみせる。芥川の「蜘蛛の糸」を僕なりの表現に変えて話してみる。子供たちが満面の笑みで飛び跳ね、喜んでくれる。僕も喜ぶ。貧しいけれども命が躍動している。最後は、みんなでザコ寝。

  幼い日に僕が過ごしていた、それとは全く違う貧しい環境で、迷わず、がむしゃらに生きている子供や大人たち。こんな人々と共に喜びを分かち合いながら、生きて行きたい、そして死んでゆきたい。僕の心にずっと横たわっていた迷いが、スーっと消えた。

 日本に戻った僕、それまでは読むだけだった詩やエッセイ・・・それからは、心の中に転がっているものを文字で表現し始めた。ただ美しいなあと眺めていた書物。それを自分で作り、僅かな人でも良い・・・喜んでもらいたいと願った。そして現在、40年近く前の幼い頃に、不安と恐怖の闇に包まれていた未来に我が身を置き、装丁製本、様々な美術工芸品や書籍・古文書などの修復を、仕事として生きている。少年時代を過ごした家はもう無い。辺りに広がっていた自然も新興住宅群に埋め尽くされ、その姿を消した。今の私、数十年前に暗澹たる未来に怯えていた少年は、その頃、遠くに望んでいた東山の麓に暮らし、一人のオトナとして、遠い国に暮らす貧困村の人々と、喜びを分かち合って生きています。